03. つれづれ日記

「渋谷」の名前の由来

1月4日(金)が仕事始めの方も多かったと思いますが、7日(月)は、本格的に会社が始動し始めることでしょう。1月最初の日曜日は、私にとってはちょうど谷間で、気になっていた自宅周辺の散策へと出かけました。

私の自宅から歩いてわずかのところに、金王八幡宮(金王神社)があります。昨年9月の半ばに渋谷駅から神輿を担いで練り歩いていたり、このお正月も参拝客も多く、大きな神社なんだろうなぁ〜?とは感じていました。

信号を渡り、真っ直ぐ進むと境内のため、渋谷に引越してからは、たびたびお参りに訪れていました。(利き酒師の試験前も合格祈願にいったら、ちゃんと合格しました。)

信号付近に大きな鳥居が!

入り口付近にそびえ建っています。

後ろに見えるビルは、ボッシュ(BOSCH)株式会社です

調べていくうちに、いろいろな歴史を発見することができました。それでは、ここからが私の調査結果です。

平安時代・・・神社の始まりは1092年にさかのぼります。(今から916年前ですね。)金王八幡宮は武蔵の武士、河崎基家によって建立されました。その付近に渋谷氏の居城跡とされる「渋谷城」があったのです。河崎基家の子が、河崎重家といい、その時に渋谷という姓を与えられました。

なぜ、渋谷という姓になったかというと、重家が御所の警備をしていたときに、賊が侵入しました。その賊を重家が捕まえましたが、その賊の名前を渋谷権介盛国と言いました。

堀川院は重家に今後その渋谷の姓を名乗るように命じました。そこから河崎重家は渋谷重家となり、領地の谷盛も渋谷となったのです。海賊の姓を名乗るなんて考えられませんが、当時は倒した敵の姓を名乗ることは名誉なこととされていたようです。

また、金王八幡宮の金王というのは渋谷重家の子の金王丸のことです。重家夫妻に初め子がいませんでしたが、八幡様に祈ったところ男の子が産まれたのが金王丸で、源義朝(源頼朝の父)に忠節を尽くしました。

室町・戦国時代・・・「渋谷城」についてですが、1524年、北条氏と上杉氏の戦いの際、北条氏の別働隊によって焼き払われています。当時は南に鎌倉道、北に青山道が通る交通の要所であり、西に渋谷川が流れ、周辺には数ヶ所のに湧水がある湿地帯であり、城として好条件を備えていました。

江戸時代・・・徳川家のお家騒動がありました。二代将軍家忠のときに、跡継ぎが長男の家光でなく忠長という噂が流れ、乳母の春日局が、青山忠成に相談し、神社へ祈願。願い通り、家康は竹千代を後継者に決定しました。御利益として、元和元年に現在の社殿と門を造営したのです。

昭和時代・・・演劇で有名な唐十郎が、金王神社境内にテントを張り、「状況劇場」を上演したこともあります。当時、寺山修司は「天井桟敷」を率いており、互いに良き理解者、ライバルだったとのこと。

昭和44年12月12日夜、寺山修司は以前、唐十郎から中古の花輪を贈ってもらったことがあり、お祝いにユーモアとして、葬式の花輪を贈りました。ユーモアが通じず、それが原因で道路上で乱闘騒ぎになったとのことです。その結果、渋谷署へ、寺山、唐十郎を含む9人が留置されました。

大変長くなりましたが、歴史発見に感動しました!今住んでいる付近は由緒あるようですので、また散策をしていきたいと思います。

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