5月29日(土)21時30分から、痴呆症をテーマにした特別企画がフジテレビにより放映されました。
名古屋郊外のベッドタウン・愛知県豊明市が舞台。サラリーマンの夫・菅野裕三(トミーズ雅)とパート勤めの主婦・巴(原田美枝子)、生意気になり始めた中学生のみずほと、育ち盛りの小学生・俊介の4人家族に、裕三の母・政子(吉行和子)が同居することになったところからこの映画は始まります。
ところが同居して間もなく、政子が変調をきたし始める。雑巾を縫っては、それを忘れてしまい、毎朝、巴に雑巾を何枚も渡す。ゴミ袋の集積所を見分けられず、他家の玄関先に置く。かと思うと、突然、激しい感情に見舞われ、巴が政子のために作ったお弁当を床にぶちまける。
この急激な変貌に、周囲は戸惑い、苛立ち、家族の団欒はあっけなく崩れていきます。思いあまった巴は、嫌がる政子を無理矢理、病院に連れていき、そこで義母がアルツハイマー型痴呆症に冒されていることを知る、というところから痴ほうとのかかわりについての家族の変化をつづった映画です。
私の亡くなった祖母も、同じくアルツハイマー型痴呆症でした。吉行和子演じる政子がまず、お金がなくなったと姑のことを疑い⇒排泄が思うようにできなくなり⇒徘徊するという、という過程が全く同じで涙がとまりませんでした。
介護をしていたのは、映画とは違い、祖父でした。祖父は以前、大学で地理を教えており、これから夫婦で一緒に旅行を楽しもうとしていた矢先の祖母の痴ほうの始まりでした。
祖母が痴ほうであるということを直視できなかった祖父は、一緒に旅行に行くことを続けていました。しかし、旅行先で、女性のトイレや、お風呂を一緒に入ることができないため、その当時大学生だった私は、月に1回くらいのペースで、一緒に温泉旅行に行きました。
この映画は、最初痴ほうの行動をきつく叱り、一緒に痴ほうに取り組んでいかない家族の様子が描かれていましたが、たとえ痴呆に冒されても、人が人でなくなるわけではないと、気づいたときから展開が変わりました。「おばあちゃんのあるがままを受け止めよう」と政子を叱らず、ゆったりと受け入れて相手をする巴に変わっていき、家族も考え方も変わっていったのです。
やはり改めて感じること。いつ終わるかわからない介護の不安・そして子どもと違い身体が大きいので、思うようにいかないもどかしさからくる苛立ち。そんな状況を打破する最も大切なことは、怒らずにそのまま受け入れることだと思います。人間はどれだけ痴ほうが進んでも、以心伝心であり、必ず思いは伝わるということが、私の経験からも言えます。
今後ますます進む高齢者社会に向け、すばらしい映画に出会うことができました。